28年度より「富山米新品種戦略推進会議」の委員として、料理人の観点から様々なアドバイスをいただきました。
名称が「富富富」に決まり、今年秋には限定販売が行われるということで、富山県民の期待も高まっています。

いよいよですね。名前も決まり、いいスタートが切れたのではないでしょうか。品種名については、推進会議でもお話したのですが、名付けや呼び名の重要性は人一倍知っています。というのも、僕の本名は「たかあき」ですが、なだ万時代の常務に「こうめい」‎としたらどうか、という提案があった。それからというもの、「料理の鉄人」をはじめとするテレビ番組に呼ばれるようになり、また、独立後のお店もおかげさまで繁盛しています。
この「富富富」は、漢字のめでたさ、読みのやわらかい印象があるので、いい予感があります。

3つの富は、富山の「水」「大地」「人」‎を表しています。実際に召し上がったご感想を。

ふふふ応援隊:中村孝明

粒揃いがいい、艶がある、すなわち見た目が美しい。というのが第一印象。日本料理は、目でも味わっていただくことを信条にしていますから、そういう点で、まず合格。味については、言わずもがな。3つの品種候補から一つに絞る際に意見を聞きたいと、試食させてもらう機会があって、店の若い衆にも意見を聞いたのですが、票が割れたんです。これは、それぞれの好みもあるでしょうが、そもそも富山の米づくりの実力、ポテンシャルの高さを物語っているのではないでしょうか。

世の中に流通するお米には、それぞれに食味の特徴があります。富富富は、料理人の目線で、どういった食べ方がオススメですか?

まずね、料理人目線というのはあんまり重要じゃない。このお米をヒットさせるためには、「家庭目線」であることが大切。懐石でおいしいのは当たり前、家庭でおいしくないとダメなんです。その点、富富富は、家庭でも扱いやすい。
炊きたてのホカホカした白いご飯に高菜や伽羅煮。おにぎりにして、冷めてもサラサラと食べられる。白いご飯‎でも、親子丼、ちらし寿司、なんでも相性がいいので、必ず、家庭で活躍する。ということは、当然、我々料理人も使いやすい。まだ、先の話ですが、いずれウチのお店でも、このお米に切り替えていくことを考えています。

家庭での米消費が減っていることについていかがでしょうか。

お米食べないなんてもったいないですよね。たしかに「食の多様化」‎は進んでいるけど、やっぱりお米は外せない。僕の料理のルーツは「おふくろの味」。その傍らには、必ずお米があった。運動会には、おふくろが作ってくれた卵焼きと、おにぎり。やっぱり今でも、その味を覚えています。料理は思い出ですからね。だから、お母さんたちも、子どもにはなるべく、お米を食べさせてほしいものです。

限定販売用の29年産米は、まもなく収穫を迎えます。今後、平成30年のデビューに向け、生産者を募集していきますが、生産者の方々にメッセージを。

お米に限らず、肉や野菜など生産者の方には常に敬意があります。僕はね、‎料理人よりも食材を作っている人が一番偉いと思うんです。命を賭けて、家族ぐるみで一生懸命作ってくれるから、僕ら料理人はおいしいものを提供できる。生産の手間を理解しているし、その食材を生かすことを考えて調理しています。
新メニューを開発するとき、料理長が僕のところに試食を持ってきて、いろいろ評価するんだけれど、食べ終わってから必ず僕はお金を払う。自分の店で、さらに試食だけれど、これは食材への感謝、生産者への敬意でもあるんです。

結びになりますが、富富富には、ご飯を食べた人が思わず「ふふふ」‎と微笑んで幸せな気持ちになってもらいたい、という想いが込められています。これまで、食を通して、多くの人を幸せにしてこられたと思いますが、そのために必要なことを教えてください。

ふふふ応援隊:中村孝明

お店に来てくれた人が笑顔で帰ってくれることほど嬉しいことはない、料理に関わる人すべての夢ですよね。そのために、料理人は日々、腕を、技術を磨く。ホールスタッフは、お客様が気持ちの良い接客を、お店づくりをする。
お店の全員が一緒に、一連となって、誰一人として手を抜かない。お米づくりも一緒ですよね。
作る人、売る人が熱い想いで取り組む。今回、満を持してデビューするわけだから、県民も同じ熱を持ってもらいたい。富山には、ブリ、エビ、ホタルイカといった宝がたくさんあるけれど、僕らからすると、もっと上手にPRしたら、もっと輝くのに、と思うことがあります。この富富富は、モノは確かだから、県民みんなが自信と誇りを持って、全国に発信してほしい。富山のお米が日本全国で評価されれば、食べた人だけではなく、生産者と流通者、そして、富山県民みんなが「ふふふ」となる日がきっとくるでしょう。

(本文章は、平成29年8月時点の内容です。)

プロフィール

中村孝明(なかむら・こうめい)

1947年長崎県生まれ。18歳で料理の世界に入り、修行を積んだ後、1980年に「なだ万ホテルニューオータニ店」に入店。96年にはテレビ料理番組で一世を風靡、全国に名を博す。99年に退社後、オーナーシェフとしての道を歩み始める。現在は「レストラン中村孝明」4店舗のオーナーシェフとして、14年2月には料理人生の集大成とも言える「中村孝明貴賓館」が横浜市磯子区にオープン。